赤穂浪士とちくま味噌とアトリエ教室


アトリエ教室の周りは、今でも江戸時代の風情を感じさせてくれます!
石碑の前に立つこのお父さんは「ちくま味噌のすごく偉い人」ですが、どうして?かというと。教室から横断歩道を渡って、「まるものおきて」で使った家の前を通って20〜30mの所に、昔(今から308年前)「赤穂浪士」が本所松坂町で吉良邸に討ち入りし本望を遂げ、高輪・泉岳寺に向かう途中、浪士47士に甘酒を振る舞い休息をとった記念碑も建つ名所なのです。
ちょうど明日が12月14日(但し旧暦だからで実際は1月30日みたい)当時は夕刻よりシンシンと雪が積もり、寒い深夜に赤穂の殿様、浅野内匠頭のために仇討ちに及んだのです。
僕は何故か小学生のころから「忠臣蔵」が大好きで、この季節になると必ずどこかの局でテレビ放映をしていたのを楽しんで見ていました。
後に社会人になったとき親戚の叔父から家系図を見せられ、元禄16年に赤穂から2人の武将がさいたまの上尾に現れ浅野を細野性に変え隠れ住み着いたのが、我々の先祖だと・・・今までどこの生まれか分からなかった自分がいっきょに目の前が明るくなった事を覚えています。
ルーツとはいえ、君主浅野のため命を落とした47士の浪士に何か申し訳ない気持ちになります。そういえば友人に、大石さん、三村さん、片岡さん他15名の同性の友人がいるのも何か運命的輪廻を感じます。
以上この様な事を書くと多分ものすごい抗議がくるかもしれませんのでこのくらいにしたいと思いますが、僕が聞いた本当の話なのです。